あっぱきやね話とは・・・
あっぱきゃねとは、大阪弁で『つまらないこと』を指します。多分?
言ってしまえば、『取るに足りないどうでもいいこと』をテーマとして集めたものです。
ですので、かなりゆ~るい内容となっておりますので、その心づもりでご覧ください。
記念すべき第1回のお題は『キャッチコピーに学ぶ』です。
本来ならどうでもいい話をお伝えしたいのですが、今回は異色のマジ話でいこうと考えております。
お題の経緯について
本ブログのコンセプトは『章解』がテーマ。 読んで字のごとく小説を構成する各章をネタバレしない程度にダイジェストに解説していくことです。 本来なら映像でどどーんと公開できれば最高なのですが、知名度がかなり低い水城わーるどではそれもままなりません。😢
ここは作家の端くれらしく、活字でどど~んと勝負していきたいと考えました。 そこで思いついたのが『映画のチラシ』を参考にすることだったのです。
『映画のチラシ』が『章解』で参考すべき理由とは・・・
章解については別記事で触れますが、簡単に言えば映画の予告のようなものです。 「映像」であれば『予告編』、これが「活字」となれば『チラシ』となります。
整理すると、『章解』=『映画の予告』=『映画のチラシ』
これでお分かりの通り、章解の参考に映画のチラシは貴重な資料となるのです。
『映画のチラシ』の考察の重要性
先ほど『映画のチラシ』と『映画の予告編』は「活字」と「映像」の違いこそあれ、中身は同じあることだとご説明させていただきました。
この二つの最大のメリットは短時間で、映画のみどころを観客に余すとこなく伝えることです。
もちろん、成功すればその作品を多くの方に観てもらえる好機に恵まれますが・・・。
失敗すれば、その時点で観客は映画を観るまでもなく即退場してしまいます。 言葉を変えてお伝えするならば、映画の出来不出来の前に観客を呼び込むことができるか否かがこれにかかっているのです。
それだけ、予告というものは、『映画の生命線』といっても過言ではないのです。
これを小説に置き換えてみても同様です。
章解の不出来は、広く作品を知ってもらおうと願う作家(水城だけだと思いますが)の夢が潰えてしまいます。
それゆえ、章解なるものを軽んじてはならないと自身を常に戒めています。
『映画チラシ』の構成について
ごく大雑把に言えば、タイトル、サブタイトル、キャッチコピー、解説、あらすじ等々で構成されています。 今回はそのなかでも「キャッチコピー」について考察していきたいと思います。
キャッチコピーは不完全で魅惑的であればあるほど観客をぐいぐいと作品の中へ誘うことができる不思議な魔力をもっています。
魅惑的な「キャッチコピー」例
それぞれの選択が運命を決める (非常事態宣言) 父はアメリカ最大級の贋札事件犯人だった。それでもこの愛は変わらない (フラックデイ 父を想う日) すべてがうまくいっていた、昨日までは (イニシェリン島の精霊) この娘、やっぱり変だ (エスターファースト・キル) はちみつはもう飽きた。ともだちはもういらない (プーあくまのくまさん)
生物のなかで人間は唯一言葉を操ることができる存在です。 別の言い方をするならば、『言葉のスペシャリスト』と置き換えることもできるでしょう。
言葉のスペシャリストの人間は、知らず知らずのうちにそれに意味をもたせます。 つまり、人間は言葉や文章に完全性を追い求めてしまう習性があるようです。
キャッチコピーはそれを逆手にとって、あえて不完全で魅惑的な表現を使うことで人の知的好奇心を煽ります。
煽られた人間はどうしてもその不完全なものを完全にしたいがために行動します。
映画であれば、その映画を観に行く、小説であれば、その小説を読む。 それによって、不完全なるものの答えを得て自己の欲求を満たそうと行動するのです。
まことにキャッチコピーは不完全でかつ魅惑的方法で人に魔法をかけるのです。
水城も読者の皆様に興味をもっていただけるよう不完全で魅惑的な『章解」をお届け致したく精進を重ねていきたいと考えています。(できるかどうか、少し不安ではございますが・・・)
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